06 延焼

 戦闘開始から数分が経過した。時間にすれば短いが、遮蔽物がないほぼ直線の道を十キロ近く耐えたことになる。

 俺たちの戦力はダッチのS&W M29とレヴィのM92カスタム"ソード・カトラス"、加えてレヴィが酒場でちょろまかしてきた手榴弾数個のみだ。
 それに対して傭兵たちは軍用ジープ三台に、それぞれ運転手の他にアサルトライフルを装備したプロの軍人三名が乗車している。
 アサルトライフルはどうやらAKMのようだ。命中精度はそれほどでもないが100メートル以内であれば7.62mm弾の威力が欠点を補ってあまりある。

 一瞬でスクラップにされてもおかしくないこの状況をかいくぐって来られたのは、いくつかの運と、海賊たちの卓越した技術があったからだ。

 まず、乗っている車が良かった。ベニーが仲介屋に用意させた車はトヨタのカローラだ。何の変哲もないセダン車だが、窓には防弾シートが貼られ、タイヤ周りも防弾仕様に替えられている。
 薄っぺらいシート1枚の防弾性など意味が無い、と断じるのは早計だ。確かに、厚さが5センチもある本格的な防弾ガラスとは比較しようもないが、今回のケースでは僅かな時間の防弾が大きな意味を持っている。
 バラワン島はフィリピンでも有数の観光地だ。市街地にまで銃撃戦を持ち込めばフィリピン政府が黙っているわけがない。E.O社もそこまでのリスクは侵さないだろう。つまり、市街地まで逃げ込めば俺たちの勝ちとなるのだ。その条件下で、出会い頭の一発と数分間の銃撃を防いでくれた防弾シートの貢献度は言葉に出来ないほどだ。

 ベニーの運転技術も見逃せない。後方支援専門だとばかり思っていたが、意外なことに彼は運転技術も一流なのだ。
 この場面、運転席のある車体左部を道路の端に寄せて、銃撃に晒される部分を少なくするのがセオリーだが、ベニーはあえて道路の真ん中を走行し、巧みなアクセルワークとステアリング捌きでライフル弾を躱し続けている。カローラの装甲の薄さでは一方向から攻撃を集中させられるとマズイと判断したのだろうが大胆な選択だ。

 ダッチとレヴィの攻撃も巧みだ。相手は屋根つきの軍用ジープだ。拳銃弾の散発的な攻撃ではびくともしない。揺れる車内、ライフル弾の雨の中で傭兵に狙いを付けられるほどの余裕も普通はない。
 だから彼らは、最接近したジープに銃撃を集中して車間距離を保ち続けることに腐心している。至近距離からライフル弾を喰らえば一撃でガソリンタンクを撃ち抜かれてもおかしくないが、ある程度距離を空ければ、長距離からの攻撃にはそれほど向いていない銃である。カローラの車体でもある程度はライフル弾の侵入を防ぐことができる。

 軍用ジープが何度目か分からない突撃をしてくる。すでにほとんどのガラスが砕け散って風通しが良くなったカローラの窓から、ダッチとレヴィが果敢に応戦する。ライフル弾が途切れるわずかな時間に嵐のような攻撃を加えて敵を防戦に回らさせ、決定的なチャンスを与えない。

「ちくしょう、行けども行けども海と森だけだ。ここは未開のジャングルか?」
「欧米で人気の高級リゾート地だよ」

 レヴィの愚痴に、ステアリングをさばきながらベニーが返す。
 とにかく周りに建物がないのだ。あるのは海と森だけ、道は完全に幹線道路で、観光地から観光地、都市から都市へと結ぶだけのものだ。
 バラワン島は市街地と手付かずの自然の境目がはっきりしすぎている。これでは市街地ギリギリまでE.O社の攻撃は続くだろう。まだ日が出たばかりの時間ということもあって、一般車の姿がほとんどないのだけが、精神衛生上の救いだった。

 そんな思考を断ち切るかのように迎撃をすり抜けた一台のジープが急接近する。威力と数を増したライフル弾にダッチとレヴィのキャパが不足する。こうなれば後はベニーに託すしか無い。カローラが急減速し、相対的に後進することでライフル弾の雨を回避する。ダッチが.44弾で牽制をし、一時的に攻撃の手が弱まったところでカローラは再び加速を始める。

 スピードに乗り切る前に後ろからの突き上げを喰らい、レヴィの体が席から浮き上がる。別のジープが後ろから体当たりをしてきたのだ。ダメ押しに、彼女の肩越しに最後の一台が左横に併走してくるのが見える。
 咄嗟にレヴィの体を抱え込んで姿勢を低くする。間一髪だ。ライフル弾が車内に飛び込んで天井に突き刺さり、一部は跳弾して左肩を掠めた。

 攻撃はまだ終わらない。最初にアタックを仕掛けてきたジープがいつのまにかカローラの右前方にポジションを移している。運転席のベニーへと銃口が向けられるのが視界に入る。

「ッまずい。アクセルを踏み込め、目一杯だ!!」

 今度はダッチがベニーの頭を抱え込む。轟音と共に殴りつけられたかのように車体が揺れ、わずかに残っていた窓ガラスを砕きながらライフル弾が車内を蹂躙する。
 レヴィを抱え込んだまま座席の下に潜ろうとする俺の眼前を7,62mm弾の大群が突き進んで行く。車体の前方から後方へと不協和音が通り過ぎ、やがて車体を揺らす音が消えた。
 
 耐え切ったか、そう安堵するのは早計だった。

「──ッ左に切れ、左。カーブだ!」

 横方向への強烈なGがタイヤの路面を擦る甲高い音と共に襲いかかって来る。バキバキという何かを折るような音がして、頭上の窓からブーゲンビリアの赤い花が降ってきた。
 やがて、重力は下方向へと戻った。危なかった。ダッチがカーブに気付くのがあと少し遅かったら、曲がりきれないところだった。

 レヴィに覆い被さっていた体を起こして、前席の二人の安否を確認する。

「二人とも無事か?」
「な、なんとか」
「……カーブに助けられたな」

 続けて後方を確認すると、ジープ三台とは40メートルほどの距離が開いていた。曲がり切れないほどの速度でカーブに突入したおかげでなんとか攻撃を退けることができたようだ。さすがに肝を冷やした。

「助かったぜ、ベニー。次にイエロー・フラッグに行ったときはあたしのおごりだ。まあ……生き残れたらだけどな」

 レヴィのセリフにも彼女らしくない弱気が覗いている。ジリ貧なのは明白だ。防弾ガラスは一枚も無くなり、車体もボロボロ。さらに、

「良くない知らせだよ。ガソリンがみるみる減り続けている。たぶんタンクに穴が空いたんだ」

 ついに心臓部を引っ掻かれたか。走行しているだけでも気化したガソリンが引火して爆発してもおかしくない状態だ。しかし、ライフル弾相手にただのセダンがよく頑張ってくれた。これはどうしようもないことだ。

 敵はこちらの行動を待ってはくれない。息をつくまもなく、三度ジープが迫ってくる。ベニーがステアリングを握る手に力を入れるが、おかしい、車体の動きに切れがない。応戦を始めていたレヴィが叫ぶ。

「左後のタイヤが破裂してやがる! だめだ、ズタズタだ」

 事態はさらに悪化。車体の動きは鈍い。だめだ、囲まれる。

「左右に振るんだ! なんとか火線からはずれろ!」

 横転するほどの勢いで右に曲がったカローラが、迫る敵ジープに激突する。強い衝撃に危うく車から落ちかけた。シェイカーにでも入れられた気分だ。
 衝撃でレヴィの左手から"ソード・カトラス"が離れて俺の膝の上に落ちる。カローラの右前方ドアが外れ落ち、右後方ドアも大きくめくれ上がっている。
 傭兵達も左右への揺さぶりは当然予想していただろうが、これほどの激しさは想定外だったに違いない。ムチウチ症になりそうな衝撃と引き換えに、シープも大きく体勢を崩して後方へ流れていった。

「ベニー、次の次は俺のオゴ──ッ!」

 ダッチは最後までセリフを言えなかった。レヴィの表情が凍りつく。猛烈な悪寒が背中を走る。うるさいほどに頭のなかでアラームが鳴り響く。命の危機を前に脳の処理能力が一時的に上昇して、周囲の動きがコマ送りになる。
 意識の速さについてこれない肉体にもどかしさを感じながら、二人の視線の先へと首を曲げる。

 眼と鼻の先にアサルトライフルの銃口が二つ並んでいた。

 加速した思考はすぐに答えを出した。
 最初の一台は囮か。いい加減しぶとい海賊に合を煮やしたのだろう。あえて強引に突撃することで本命を隠す。セオリー通りだが、タイヤが破裂して機動力が低下したカローラにはどちらにしろ避けるすべはなかった。
 俺のカウントが正しければダッチのM29もレヴィの右手の"ソード・カトラス"もほとんど残弾が無いはずだ。さらに二人は衝突の衝撃で体勢を崩している。この距離と角度では身を隠す場所もない。

 傭兵のAKMのトリガーにかかる指に力が入る。

 ベニーはステアリングにしがみつき、ダッチはできるだけ体勢を低くしようとする。レヴィは残弾のない"ソード・カトラス"を、それでも傭兵に向ける。
 視界に入っていないそれらの出来事が、目で見るよりもハッキリと感じられた。





 ここが分岐点だ。

 何のために銃を手に取る? 正当防衛? 自分の意思を通すため? それとも……。
 あまりに刹那の猶予。しかし、だからこそ余分な思考が消え去り、本当の魂の形が剥き出しになるのがわかった。

 ──だから、やることは決まっていた。

 心に"火を灯す"。生まれた炎を"圧縮"して意思へと磨き上げる。"加速"する意思は"臨界"を迎え、肉体を"燃焼"させる。

 膝の上の"ソード・カトラス"を手に取る。
 空弾倉を外し、座席に無造作に積まれている新しい弾倉を取り付ける。
 薬室に弾丸が一発だけ残っているのであらためてスライドを引く必要は無い。
 彼我の距離は2メートルほど。狙いを付ける必要もない。

 一連の思考と動作を、アサルトライフルのトリガーが惹かれるまでの一瞬の間に収めきる。

 引き金を引く。

 射出された9mmパラベラム弾の1つが助手席の傭兵に、2つがそれぞれ後部座席の傭兵二人に向かう。助手席の傭兵の体越しにわずかに覗いている運転手の腕へも念のために3発撃ち込む。
 三人の傭兵の額に穴が空き、運転手の腕がズタズタに引き裂かれる──そんな決まりきった未来は見るまでもない。
 
 すぐさま体を反転させ、時間差をつけて逆方向から迫っていたもう一台のジープに銃口を向ける。今度は10メートルほどの距離がある。先行する意識がすでにターゲットの補足を終えている。
 銃の癖を把握し、車体の揺れを計算し、ターゲットの動く方向やスピードを感じ取る。狙って、撃つを繰り返すのではなく、一度に狙いを済ませて一度に撃ち尽くす。

 分間600発を誇るAKMを相手に二撃目以降のチャンスはない。寸感の間も与えずにまずは後部座席の二人の傭兵を一撃で絶命させる。
 運転手の体が邪魔で助手席の傭兵は狙えなかったが問題はない。一台目のジープと違い二台目は数秒の余裕を持って対応する時間があった。
 運転手の左腕を撃ち、その体が左前方に傾くのを確認してから、さらに左の米神を撃ち抜く。自然と絶命した運転手はステアリングを左方向に回すような体勢で崩れ落ち、ジープはカローラから離れていく。
 あわててステアリングに手を伸ばす助手席の傭兵の喉を銃弾で抉りながら、足元に転がっている手榴弾のピンを抜いてジープの後部座席に投げ入れる。

 生きている乗員の消えた二台のジープは、急速に速度とコントロールを失って後方へ流れていく。

 最初の一台はそのままフェードアウトし、手榴弾を投げ込んだ一台は計算どおりに後方で陣取っていた最後の一台に接触する。
 接触とほぼ同時に手榴弾が爆発した。爆発の炎はジープの燃料タンク破壊、飛び火して誘爆。ガラスが割れ、金属のひしゃげる音が響き、接触していた最後の一台もろともオレンジ色の炎に包まれる。
 運転手が爆発の衝撃でステアリング操作を誤ったのか、接触されたジープが横転した。炎と煙の中、生き残りの傭兵が地面に叩きつけられて首がありえない方向に曲がる。二台は互いに絡み合い、あっという間に後ろに消えて行った。



 外敵を"延焼"させた意思の炎の"残火"を保ちながら、体中に溢れているアドレナリンを"排気"する。

 殺した。容赦なく殺した。

 拾った命と引き替えに、大切な、あまりに大切な何かが手のひらからこぼれ落ちていくのを感じる。
 胸に痛みが走る。目には見えない、しかし決して消えることのない"傷"が心に刻まれたのを理解する。
 それでも後悔だけはしない。自らの意思で選択した結果なのだから。

 車内に目を向けると海賊たちはそれぞれの表情で驚きを表現していた。ベニーは口を半開きにし、ダッチは頬を引きつらせている。そしてレヴィは――

 "ソード・カトラス"の銃口が俺の額へとポインティングされる。

 その銃身に並べるように借りていたもう一挺の"ソード・カトラス"を、銃口を自分へと向けた状態で彼女へと差し出す。

「返すよ。勝手に使って悪かった」

 彼女が口を開くその直前に――魂を凍りつかせるような轟音が響いた。

 カローラの天井が巨大な獣に食いちぎられたかのように引き裂かれ、レヴィと俺の間の空間が弾ける。悲鳴を上げる間もなく、車体がバランスを崩してスピンを始める。
 回る景色のなかで、空間を切り裂くように弾丸が飛び交う。こめかみの横をかすめ、垂れたネクタイの下半分が粉みじんになる。ステアリングが半分千切れ、その跳弾がベニーに当たった。苦痛の声と共に赤黒い液体が噴出して宙を舞う。
 タイヤの摩擦音が甲高く響く中、弾丸は容赦なく車内を蹂躙していった。

 数十メートルの地獄の後にようやくカローラは止まった。車体はもはや自動車の体をなしておらずスクラップ寸前の状態だ。
 車内には血の匂いが充満している。ベニーが右太ももから、ダッチは頭から血を流している。一番の重症はレヴィだ。弾丸にえぐられた左肩はわずかではあるが白い骨が露出していている。意識もない。

「……ッくそが。何が起きやがった!」

 ダッチの問いかけへの回答はすぐに現れた。引き裂かれた天井から見える空から、太陽光とともに大気をかき回す音が降ってくる。

 Mi-24──通称、ハインド。獰猛な機械仕掛けの猛禽がそこにはいた。
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