グラスに波々と注がれたバカルディを飲み干すと、野次馬達が大げさに騒ぎ立てた。
空になったグラスをテーブルの上に戻す。ボトルはすでに三本目が空いていた。酒には強いほうなのでまだ余裕はあるが、さすがに体が熱を持ち始めている。
レヴィのあからさまな挑発から我に帰ったときには、すでにセッティングは完了していた。
丸テーブルの一つにバカルディのボトルが数本置かれ、グラスが二つ用意される。対峙するように椅子が二つ並べられ、光に吸い寄せられる蛾のように、早くも野次馬がテーブルの周りに現れていた。
頼みの綱の店長は、我関せずとばかりにグラス磨きに没頭している。さすがに、この状態で辞退することは不可能で、結局勝負の席に座らされてしまった。
交互に一杯ずつ杯を重ねていく。
レヴィの喉がゆっくりと上下し、アルコールが嚥下されていく。彼女は本当に楽しそうに酒を飲む。それだけで挑発的な態度も許してしまいたくなるような、そんな飲み方だった。
久しぶりに口にした強いアルコールは意外にも美味かった。ここ数年間、酒に対しては酩酊作用以外の意味を感じていなかった。
何が違うのだろうか。その答えはすでに自分の中にあるような気がした。
5杯目を飲み干したところでダッチが店の奥から戻ってくる姿が見えた。騒ぎを見て呆れた顔をしている。あの様子ならこの馬鹿げた事態を諌めてくれそうだ。レヴィもそう思ったのか、さっそく剣呑な目で彼を睨んでいる。
ふと、嫌な予感がした。
久しく感じていなかった懐かしい感覚。
取り囲む野次馬達の足元に丸い塊が数個転がってきたのはその時だった。目を向けるまでもなく、転がる音で手榴弾と分かった。
考えるよりも先に体が反応してその場を飛び退く。レヴィがカウンターに向けて走り出したのが視界の端に映った。
閃光が煌めき、轟音が響く。
店の窓ガラスがすべて吹き飛んだ。
木造の椅子やテーブル、さらには逃げ遅れた客の体が宙を舞い、薄暗い店内ではほとんど黒色に見える血が撒き散らされる。
粉塵が収まる間もなく、風通しのよくなった窓から銃弾の雨が降り注ぐ。
かろうじて爆風から免れた娼婦が眉間に穴を開けて倒れる。その周りでも、避難のタイミングが遅れた酔っ払いたちが次々と穴だらけにされていく。
銃弾を避けるために、姿勢を低くして横手からカウンター内に逃げ込むと、先客のレヴィが能天気にも足を投げ出してラム酒のグラスを傾けていた。
大胆なことに銃弾の雨の中、カウンターの上を乗り越えてきたらしい。彼女の隣では、ショットガンを手にしたバオが苦虫を噛み潰したような顔をしている。
「レヴィ! てめえのダチが来たんならてめえで応戦しろ」
「知らねえよ」
彼女はまたグラスを傾ける。カウンター内には、銃撃で割れた酒ビンとその中身が降り注いでいるが、そんなことはお構いなしだ。
銃撃はさらに激しさを増し続けているがカウンターはビクともしない。どうやら鉄板かなにかで強化してあるようだ。この店の置かれた環境がよくわかる話だ。
「レヴィ! 生きてるか!」
裏口につながる通路の影からダッチの黒いスキンヘッドが見える。レヴィはひらひらと手を振りながら緊張感のない返事を返す。
「生きてるよー」
「ベニーは!」
「不思議と生きてるよ」
ダッチのいる通路へと駆けこみながらベニーも返事をする。。襲撃時の場所がよかったらしい。無傷のようだ。
「ロックは!」
「あたしの隣で息してるよ」
俺が口を開く前にレヴィが返答をする。彼女の目には不満そうな色が浮かんでいる。まさか死んだほうがよかったとは思ってはいないだろうな。
「レヴィ! 二挺拳銃の名が伊達じゃねえことを見せてやれ!」
ダッチが大口径のリボルバーを撃ち続けながらレヴィを嗾ける。バオも果敢に応戦しながらレヴィに叫ぶ。
「おい、やっぱりお前達の客か! 店が粉微塵になる前に何とかしろ!」
「あいよ。まあ、焦るなって、人生は楽しまなきゃってな」
彼女はM92を手に取ると、そのスライドを引いた。15発入りの弾倉を象牙のグリップに差し込む。さらも、まったく同じ銃をもう一つ取り出し、同じく弾倉をセットする。
唐突に銃声が途切れる。
店内はさながら廃墟のような状態で、騒がしかったホールに響くのはわずかなうめき声だけだった
多数の足音が店内に入ってくる音が聞こえた。カウンターの角から顔を覗かせると、月明かりの下に野戦服を着た男達が見えた。どうやら、生き残りの掃討をするつもりらしい。
リーダーらしきサングラスを掛けた金髪の男がAKMを掲げながら言う。
「チェックしろ。おれは生きている奴は大っ嫌いなんだ」
男の頬は暴力への愉悦に歪んでいた。
レヴィが銃を両手に構える。彼女の全身の筋肉がバネのように絞られていくのが感じられる。その間にも兵隊たちは、息がある客を見つけると躊躇なくアサルトライフルで止めを刺していく。
そして、三人目の頭に穴が開けられた瞬間、レヴィはカウンターから飛び出した。
一瞬で三人の兵士を9mmパラベラム弾で吹き飛ばす。周りの兵士があわてて銃を向けたときには、彼女はすでにその場を飛びのいていた。宙を舞いながらさらに二人の兵士を沈める。
机、椅子、さらには客の死体すら盾にして、一瞬たりとも同じところに留まることなく移動しながら、両手の銃から弾を吐き出し続ける。
死角から攻撃しようとした兵士の右肩が破裂した。ダッチの援護射撃だ。44マグナム弾はその名に恥じない威力を発揮して兵士の右腕をもぎ取り、周囲に血をぶちまける。
浮き足立っていた兵士たちがようやく体勢を立て直し始める。レヴィは敏感にそれを感じとると、銃幕を張りながら背面跳びでカウンターに戻ってきた。
「よっと」
鼻歌すら出そうな軽い調子で弾倉の換装をはじめる。
ヒットアンドアウェイと言えば簡単だが、アサルトライフルを持った多数の兵士相手にやるとなると、とんでもない技量が必要とされる。曲撃ちとしか言い様のない体勢と構えで、さらに二丁の銃で別々の目標を叩く姿は現実離れしていた。
これほどの技量と苛烈さを持っているとは思わなかった。彼女に、いや彼女とラグーン商会に対する警戒を心のなかで二段階ほど引き上げる。
レヴィの帰還とともに再びカウンターには銃弾の雨が戻ってきた。バオは忌々しげに頭上を通過していく鉄の塊を見ている。
「おい、レヴィ、これじゃキリがない。さっさとお客をつれて出て行ってくれ。まったくお前のせいで店が壊されるのは何回目だ?」
「んー、今回で四回目だっけ?」
レヴィの声はあいかわらず緊張感が無い。
「全部弁償しろよ、わかってんのか?」
「知らねえよ、ダッチに聞け」
その話の最中にも兵士の一人がカウンターを乗り越えようとするが、すかさずバオがショットガンで撃ち落とす。
「とにかく、早く出て行きやがれ。それでもって銭作って持って来い。でなきゃ、この店にゃもう入れねえ! 来やがったら尻の穴を溶接して、代わりの穴を脳天に空けてやる!」
「了解、了解」
換装を終えた銃を構えてレヴィは凶悪な笑みを浮かべた。
「ダッチ!」
その一言でダッチに援護を頼むと、彼女は再びカウンターから飛び出た。ダンスホールに血煙が戻る。
「おい、ロック!」
レヴィの援護をしながらダッチがこちらに怒鳴る。
「悪いな、順序が狂っちまった! これじゃあ引渡しはチャラだ」
「……というと?」
頬の横を通り過ぎる銃弾に首をすくめながら問い返す。
「もともと予定にない話だしよ。ここで解散ってのはどうだ?」
「勘弁してくれ。俺はまだ死にたくない。積荷をうち捨てるなんて運び屋の風上にも置けないじゃないか」
放り出すなら安全圏に入ってからにして欲しい。その後ならば大歓迎だ。サラリーマン生活へと戻れる。ディスクを奪われたのは汚点だが、平凡なサラリーマンの手におえる事態でないことは明白だ。出世街道からは外れるだろうが、そんなことは本質的な問題ではない。
「できれば俺も連れて行ってくれると助かる」
「しょうがねえな、まあ、その様子じゃパニックになって足を引っ張るってこともなさそうだ」
ダッチはシリンダーをスイングアウトして44マグナム弾を詰め直す。
「レヴィ! ずらかるぞ、路を開きな!」
「あいよ!」
レヴィは撃ち殺した兵隊の体を盾にしながら一気に銃弾をばら撒き、後退を始める。
「走れ!!」
その言葉を待つまでも無く、俺はダッチのいる裏口方向へと走りだしていた。獲物が集合したことで兵士達の銃撃の密度は増したが、凄腕二人はあせることなく弾幕を張り、時間を稼いでくれる。
ダッチの横を通り抜け、廊下を進み、裏口へたどり着く。
「ベニー、車を!」
ダッチの声に答えて車が裏口に横付けされる。あらかじめベニーが取りに行っていたのだ。
銃弾の雨をかいくぐりながら急いで車へと乗り込む。続いてダッチ、最後にレヴィが飛び乗るのを確認して、ベニーがアクセルを踏み込む。
後輪から白煙をあげながら車は急発進をした。
その直後、轟音と共にバックウインドがオレンジ色に染まる。車へと銃撃をしていた兵士たちが吹き飛び、炎にまかれるのが視界に入った。
レヴィの歯に挟まれた銀色の安全ピンを見て事態を悟った。いつの間にか敵の手榴弾をちょろまかしていたらしい。やることがいちいち派手な連中だ。
左右に揺れる車中でシートにしがみつきながら、無事に日本に帰れるかどうかとても不安になった。