07 残火

 空から太陽光とともに大気をかき回す音が降ってくる。
 Mi-24──通称、ハインド。獰猛な機械仕掛けの猛禽がそこにはいた。

 ハインドのローターが生み出す風が隙間だらけになったカローラの中を通り、生暖かい空気がかき回される。意識を失い、俺の肩に頭を載せたレヴィの黒髪が風に舞う。ブーゲンビリアの芳香とレヴィの血の匂いが混じって蠱惑的な非日常の香りがした。
 ベニーは太もも、レヴィは左肩を負傷。カローラは爆発炎上していないのが不思議なくらいの破損。武器は拳銃三つと手榴弾二つのみ。そして、頭上には戦闘ヘリ。状況はこれ以上ないほどに切迫していた。いくらなんでもこの展開は予想外だ。発した声が引き攣っているのが自分でもわかった。

「ここら辺りではあんな物騒なものがウヨウヨしているのか?」
「……バカ言え。いくら"ロアナプラ圏"でもガンシップなんぞ持ち出す大馬鹿は初めてだ。連中、俺たちをゴジラかなんかだと勘違いしてやがるのか」

 ダッチの返答も驚愕を通り越して諦観の響きがあるようだった。
 観光地は安全なことが第一条件だ。最近ではゲリラも出現しているためフィリピン政府はかなり神経を尖らせていると聞いている。市街地からほど近いこの場所であんな派手なものを使ってはさすがに政府が黙っていないだろう。どうやって収拾をつけるつもりなのだろうか?

「ここは海岸線のすぐそばだ。俺たちをローストした後、目撃者が少ないうちに飛び立つ。そうすりゃ、積まれた札束の高さで高官連中の目には入らなかったことになる」

 ダッチが耳に痛い推測を聞かせてくれる。

「さすがは世界第二位の経済大国の大企業だね。倒産寸前にしては羽振りが良い」
「そのわりには今年のボーナスは振るわなかったよ」

 ハインドは20メートルほど離れた上空で静止している。軍事関係には素人に毛が生えた程度の知識しかない俺でも記憶にある戦闘ヘリだ。スズメバチのような有機的なフォルムが本能的な恐怖を呼び起こす。
 コックピットのガラス越しにヘリの乗員の顔が見えた。三人の乗員のうちの一人は間違いなくバラワンの酒場で見たグラサン男だ。グラサン男の横ではガトリングガンの銃口が太陽光を反射して鈍い光を放っている。
 その威力は人が携行できる銃器とは一線を画している。実際、AKMのライフル弾に耐えぬいたカローラの車体をいとも簡単に引き裂いた。対戦車ミサイルにいたっては論ずる気力すら湧いてこない。食らったら肉片一つ残らないだろう。
 コックピットは防弾ガラスで覆われており、拳銃弾程度では小揺るぎもしそうにない。厳密な値までは覚えていないが巡航速度も時速300キロに迫るはずだ。
 圧倒的な、という言葉すら生易しい絶望的な戦力差だ。俺達は為す術もなく殺される、それは時制が未来なだけの決定された事実だった。そして、その認識を双方が共有しているからこそ、海賊たちは逃げ出そうともせずに会話を続け、ハインド側も追撃を急がない。

「撃ってこないね」
「完全に遊ぶ気だな。趣味の良い糞野郎だ。まあ、一服する時間を与えてくれたことを感謝するか。ロック、レヴィの様子はどうだ。まだくたばっちゃいねえか?」
「意識を失っているだけだ。息はある」
 
 呼吸はしっかりしているし胸も上下している。直に目を覚ますだろう。
 Yシャツを破ってレヴィの傷口の止血をする。傷口からのぞく白い骨は痛々しいが、この程度ですんで運が良かったとも言える。あと数センチ着弾場所がずれていたら彼女の左肩から先は足元に転がっていたはずだ。
 銃口の前に姿を晒しているのは気分が良いものではないが、ダッチも焦ることなくベニーの太ももの上を縛っている。ベニーの止血を続けながらダッチが口を開いた。

「ロック、お前は逃げろ。囮ぐれえにはなってやる」
「ダッチ?」

 ダッチの声に感情の揺らぎは見られない。むしろあるべきモノがあるべき場所に収まった、そんな雰囲気すら漂わせていた。

「おまえはもう裏社会からは引退したんだろ? なら、最後まであがく権利がある。俺たちはいずれこうなることは決まっていた人間さ。いいな、ベニー?」
「……どうせ拾った命さ。覚悟はできているよ。ロック、巻き込んでしまってごめん」
「まあ、そもそも俺はケツの穴を掘られる趣味はねえからな。どちらにしろ背中を見せるっていう選択肢はねえのさ。気にせず逃げてくれ。完全に詰みの状態だが、おまえさんだったら逃げ切れる可能性はゼロじゃあねえだろ?」

 避けようもない死を目の前にしても二人は揺らがない。まるで、とっくの昔に自分たちは死んでいるとでもいうかのように。

 ──それが酷く気に触った。

 自分の中の何かがそれは受け入れられないと叫んでいる。それが何かは明確にはわからない。開き直って落ちていくことを決めたはずなのに、まだ心の中には自分でもわからない影がある。往生際の悪さに笑いそうになった。
 ……やめよう。今は自己分析をしている場合ではない。もっと建設的なことに頭を使う必要がある。

 実際、逃げるにしても問題は山積みだ。
 彼らの厚意を受け取って逃げ出したとしてもどれほどの勝算があるだろうか? カローラが止まっているのは海岸線よりの道路の端だ。身を隠すための森林地帯は反対車線の外にある。距離は10メートル以上。遮蔽物がまったくないこの距離をハインドの攻撃から逃げきるのは不可能に近い。
 数十、数百メートルの距離こそ戦闘ヘリの本領が発揮されるところだ。徒歩で可能な程度の速度では間隔を空ければ空けるほど対処方法がなくなる。こちらの攻撃が何も届かない状態で袋叩きにされてしまう。中途半端に距離を空けるくらいならむしろ相手の懐に飛び込んでしまったほうが良いくらいだ。
 あらためてハインドとの距離を測る。水平距離で15メートル、垂直距離で20メートル。傭兵たちはこちらのリアクションを待っているから、ハインドに正対してすぐに問答無用に攻撃をしてくる可能性は低い。先手は取れるだろう。問題は攻撃手段だ。こちらの最大の火力である手榴弾でもハインドの装甲は破れない。手榴弾の爆発には指向性がないので全方位に威力が分散してしまうからだ。掌の上で爆竹を炸裂させても軽いヤケドで済むのと同じ事だ。やはり、わずかの可能性にかけて逃げるしか無いか。

 ……いや、まてよ。ならば強引に指向性を与えればどうだ? 幸い手榴弾は2つ残っている。タイミングがシビアだがやってやれないことはない。ダッチじゃないが尻を向けて逃げ出すよりはよっぽど健全だし勝機もある。

「さて、そろそろ行くぞ。何時あいつらの気が変わるかわからなねえからな」
「僕はここで座ってるよ。……ちょっと、疲れた」
 
 車外へと出ようとしていたダッチの肩を掴む。
 
「ダッチ、取引したいことがある」
「あん? 藪から棒に何を言ってやがる。それより早く出ねえとヤベエぞ。気が長い連中とは思えないからな」

 軽く流してそのまま進もうとするダッチをさらに強く引き止める。

「あの蚊トンボは俺が何とかする。だから、あんたらの雇い主のバラライカへの取りなしを頼む。あと、レヴィの目が覚めた後で一騒動があるだろうからその仲裁も」

 ホテル・モスクワに俺についての情報が渡る可能性は高い。そうなれば今回の件の全容を知るものとして後腐れなく処分されかねない。
 この場を乗り切ることを対価として身の安全を図らせてもらおう。望んで得た技能ではないが、利用できるものは利用すべきだ。

「……お前、状況をわかっているのか? 馬鹿なことを行ってないで早く逃げろ!」

 ダッチの反応は悪い。ダライ・ラマがイラクに亡命したとでも聞いたかのように一笑に付された。
 ならばしょうがない。悪いが懇切丁寧に説明している時間がない。結果で納得してもらおう。
 ダッチが右手で軽く握っていたM29を、意識が逸れているのを確認して奪い取る。

「少し借りるよ」
「お、おい。どうするつもりだ」
「大丈夫だ。すぐに返す」

 足元に転がる二個の手榴弾を手に取り、安全ピンを抜く。

「待てよロック。何をやるつもりだ。抜け駆けするんじゃねえ!」
「抜け駆け? 違うな。あんたたちは死ぬことを覚悟してたんだろう? だとしたら俺とはまるで違う。」

 制止の言葉を振り切ってカローラの外へと出る。車体のスピンによるカラダへの影響を確かめるためにあえて時間をかけてガラスの散乱した地面を歩く。足元のガラスの破砕音が心臓の鼓動とシンクロする。問題ない。カラダは十全だ。
  ハインドに正対する。第一関門突破。やはり問答無用で攻撃をしてこない。俺達にまったく脅威を感じていないのだ。グラサン男の顔が愉悦に歪んでいるのが見える。どう料理しようかという嬉しい悩みを抱えているのだろう。

 ならばその悩みを無くしてやるのが親切というものだ。

 後ろ手に隠していた2つの手榴弾のレバーを同時に解放する。一つ目を宙へ軽く投げ、そのままノーバウンドで思いっきり蹴り上げる。蹴り上げた足をそのまま踏み込んで軸足へと変え、逆足でもう一つの手榴弾の尻を掬い上げる。
 応戦はない。第二関門突破。手榴弾にも脅威は感じないらしい。スティンガーでも抱えない限り、歩兵相手に焦る必要はないと思っているのだろう。それは正しい。普通ならば。

 ローターの風切り音に紛れてゴンという音がわずかに響くのが耳に届く。グラサン男の笑顔の上、二段コックピットの下段のガラスの上に最初の手榴弾が乗った。
 振動と風圧で手榴弾がすべり落ちる直前、二つ目の手榴弾がそのすぐ頭上まで到達した時点で起爆の時間が来た。ズガンッという爆発音を一つだけ響かせて二つの手榴弾は同時に弾ける。

 それほど大きな爆発ではない。ハインドは大きく揺らいだが、与えたダメージは微々たるものだ。メインローターもテールローターも無傷。機銃とミサイルにも影響は出ていない。乗組員の人的被害も無に等しい。コックピット下段に座るグラサン男が爆発の衝撃で機銃から手を離し、忌々しそうに顔を歪めているだけだ。

 与えたダメージは1つだけ。ススで汚れた防弾ガラスに走る僅かなヒビ。10センチもないが、手榴弾の火力では付けることが不可能なはずの傷が確かにそこには存在した。
 
 それで充分だ。

 グラサン男が機銃から手を離し、防弾ガラスが爆発エネルギーの影響で熱を持っているうちに僅かなヒビへと.44マグナム弾を一気に叩きこむ。

 一発。指一本物外れた。銃の癖を把握して微調整。
 二発、三発。命中、しかし、距離があることもあってなかなか打ち抜けない。
 四発。まだだめだ。
 五発。ようやく抜けた。左席の操縦士の肩に着弾。
 六発。今度は跳弾が右席の操縦士の胸に直撃。

 二人共に命に関わるような傷ではない。しかし、傷は傷だ。ヘリの操縦は高度で繊細な作業だ。痛みに耐えながら正確な操縦はできない。
 ハインドは急速にコントロールを失い蛇行を始める。グラサン男が何かを喚きながら機銃を乱射するが、ロクに狙いも定められず、地面に弾痕による絵画を描くだけだ。胸を撃たれたパイロットが必死で操縦桿を握っているがコントロールを取り戻せない。

 やがて、ハインドの機種が不自然に前かがみになり一気に高度を落としてこちらに向かってきた。あわてて地面に伏せる。ヘリはその頭上を通って行く。ローター音が奇妙にゆっくりと響き、すべるように後方に抜けた。
 ヘリは30メートルほど先の道路と森林地帯の境目に側面から墜落した。ローターが地面に接触する。金属をすり合わせるような不快な音が響いて土が巻き上げられる。機体は火花を散らしながら地面を滑っていく。

 ローターがついにその動きを止めたのは、車体が更に10メートル以上滑り、停止したのとほぼ同時だった。
 もはやハインドに戦闘能力がないのは一目瞭然だが、さすがに戦闘ヘリだけあって原型はほぼ完全に留めている。引火や爆発する気配も無い。 民間のヘリコプーターならば地面に接触した時点で飴細工のようにクシャクシャになっている所だ。

 土煙が薄くなっていくのを見ながら大きく息を吐く。精神的な疲労を感じる。さすがにギャンブル要素が大きすぎた。10回やって成功するのはせいぜい3、4回だろう。その数回が頭に来てくれて助かった。
 冷や汗を拭い、もう一度大きく深呼吸をした所で背後に気配を感じた。振り返るとベニーに肩を貸しながらダッチが歩いてくる所だった。

「返すよ。勝手に使って悪かった」

 レヴィに向けたのと同じセリフを口にしながらダッチの手にM29を握らせる。ダッチはどこか機械的な仕草で拳銃を受け取ると、引きつった笑顔をさらに歪めた。

「この目で見ても信じられねえ。拳銃でハインドを落としやがった。何が引退した身だ。お前はどこのランボーだよ」

 ランボーは弓矢だ。あんな変態と一緒にされたくない。

「あー、これって血液不足による幻覚じゃないよね。昨今のジャパニーズビジネスマンは戦闘ヘリの落とし方もマスターしているのかい?」
「運が良かっただけだ。本来はあんな距離まで近づくことさえできない。相手が油断して遊ぶ気満々だったからなんとかなった。.44弾でなければ撃ち抜けなかったしな」
「……運とかそういうレベルじゃねえだろ。まあ、手榴弾で傷を付けられたのは運が良かったかもしれねえが」
「ああ、そこは運じゃない」
「なに?」
「手榴弾には銃やスティンガーと違って指向性がないからな。二つの手榴弾を同時に爆破させて片方の爆風を擬似的な壁とすることで指向性を加えたんだ。アルマゲドンでやってたろ? 掌の上で爆竹を鳴らしても軽いやけどですむが、握った拳の中で鳴らせば指が吹き飛ぶって」
「……やっぱり、お前も充分変態だ」

 うんうん、とうなづくベニーを無視して未だ大破したカローラに残っているレヴィを抱き上げる。銃を手放したのがよっぽど不覚だったのか。今度は気絶してもしっかりと両手に"ソード・カトラス"を握っている。

「今日はとんでもない出来事ばかり目撃する日だね。レヴィがお姫様抱っこされている。あのレヴィが」
「傷が開くぞ、アホ」

 笑いながら痛みに悶えるベニーにツッコミをいれたダッチは、この後のことを提案してくる

「たしか無傷のジープが一台あったはずだ。そいつに乗りかえて先に進むぞ」
「もう、1キロは後方だ。ここまで来れば徒歩のほうが早いんじゃないか?」
「怪我人連れてチンタラ歩くわけにも行かねえだろ。街に入ったからといって襲撃がなくなる確証もねえ。悪いがひとっ走り取りに行ってくれや。俺は此処でうちの社員の子守をしている」
「それが妥当か」

 ランニングを始めようとレヴィを地面へと降ろしたところで、ヘリの墜落地点の先から二台の車がやって来るのが見えた。民間人かと思ったが、よく見れば傭兵達と同じジープだ。用心深いことにさらにバックアップを用意していたらしい。
 墜落したハインドが道を塞いでいるのを見て、次々と傭兵達が道に降り立つ。全部で八名。

「ランニングは延期だな。ダッチ、援護を頼む」

 再びレヴィから無断で借りた"ソード・カトラス"を構える。

「おまえさんに援護なんて必要なのか? まったく、かわいい子猫ちゃんかと思っていたら、正体はライオン、いや東洋人だから、虎のほうがいいか。まあ、どっちにしろ、酷い詐欺に引っ掛かった気分だ」
「そう言わずに.44マグナム弾の威力を見せてくれ」

 ダッチは答えずに、肩に抱えたベニーを地面に降ろす。ちょうど墜落したヘリが、傭兵隊の視界を遮っている場所だ。とりあえず安全地帯と言っていい。ダッチは歩きながらリボルバーの銃弾を確認して点検を終えるのと同時に俺の隣に並んだ。

「拳銃でアサルトライフルを持った傭兵8人と戦闘か。面白くて涙が出そうだぜ」
「"面白い"ってのは大事だって、言ってただろ?」
「ああ、だから殺る気まんまんさ。早いとこ片付けてボーナスゲットと行こう」
「……あたし抜きで、ずいぶん楽しそうなことをやってるじゃねえか」

 気絶しているはずの人間の声がした。
 振り返ればはたして幽鬼のような表情を浮かべたレヴィが立っていた。カローラがスピンした際に頭でも打ったのではないかと心配していたので、意識を取り戻した彼女に安堵する。

「レヴィ、気がついたのか。ってまだフラフラじゃないか。血は止まったとはいえ、重症だ。動かないほうがいい」
「……返せ」

 そこで初めて、彼女の全身から立ち登る殺気に気づいた。

「あたしの銃を返せ」
「いや、でも」
「いいから、返せ」

 完全に目が据わっている。これは話しても聞く雰囲気ではない。ダッチに目を向けて助けを求める。彼は肩をすくめて文字通りお手上げのポーズをする。

「だめだな。完全に頭に血が登っちまっている。素直に渡したほうがいいぜ。さもなきゃ俺たちが齧られる」

 もう一度彼女に視線を戻す。確かにこれは手がつけられそうにない。仕方が無い。ベルトに挟んでいたM92を手渡した。彼女は左肩を撃たれているので両方を返す必要は無いだろう。
 レヴィは引っ手繰る様にして銃を受け取ったが、すぐに不機嫌そうに眉根を寄せる。

「こっちじゃない。そっちだ」

 これは左手用だ、と彼女は言う。正直なところ違いが分からなかったが、ここで異論を述べても意味はない。素直に交換する。
 レヴィは銃を受け取るとスライドを引いて装弾を確認し始める。頭に血が上っていても基本的な作業は怠らない。やがて作業を終えると獣のように獰猛な声を出した

「あいつら、全員ぶっ殺してやる」

 訂正。獣でも逃げ出しそうだ。 彼女はそのまま遮蔽物から飛びだそうとする。
 
 不味い! とっさに彼女の左手を掴んで止めた。

「ぐげぁ」

 レヴィは奇妙な叫び声をあげて左肩に手を当ててうずくまった。 そういえば彼女は左肩を撃たれていたのだ。 これはまずいかもしれない。

「悪い」
「……てめえ!」

 案の定、すぐさまレヴィが燃え上る。そうとう痛かったらしく目じりには涙が浮かんでいる。悪かったとは思うが勝手に飛び込まれるのは勘弁して欲しいのも事実だ。

「動けるのか?」
「あん?」
「酒場での戦闘のように、すばやく、激しく動けるのかって聞いてるんだ。そうでなきゃ、飛び出していってもすぐに蜂の巣だ。死体になられてもこちらには何の徳も無い。せいぜい敵の銃弾が減るだけだ」

 視界の端ではダッチがしきりに首を振っている。あまり刺激するな、そんな意思がビシビシ伝わってくる。
 レヴィが凶悪なその笑みを一段と深くした。

「ロック、ロックよお。あたしは今、火がついてんだ。自分でもどうしてか分からないほど燃え上がっている。地獄の業火ですらケツ巻いて逃げ出すほどにな。その怒りに比べりゃ、こんなもんは掠り傷でしかねえ。動きが鈍ってる? 上等じゃねえか。そんなもんは根性でカバーしてやる」

 無茶苦茶だ。無茶苦茶としか言いようがないセリフだ。 しかし、彼女が強力な戦力であることは間違いない。ダッチと二人で顔を見合わせる。同時に溜息が出た。

「よくこんなのを雇っていられるな」
「腕は良いんでな。これでもう少しおしとやかになってくれりゃあ、言うことはないんだが」
「それはそれで不気味だ」

 男二人の諦観を前にレヴィの殺気が膨れ上がる。そろそろ頃合か。

「前衛はレヴィ。俺は敵が動揺したところを狙い撃ちしつつ接近する。ダッチは俺たちの援護だ。それでいいか?」

 レヴィが虚を疲れたような表情をする。

「あたしが飛び出すのは反対じゃなかったのか?」
「打ち合わせもせずに行動されるのはな。それさえなければ悪い手ではないと思う」

 火力のレヴィ、精密さの自分、そして冷静さが信条のダッチだ。見事に役割に当てはまる。

「ふん、悪かったな」

 すねたように彼女は言う。その仕草が普段と違って妙に可愛くて思わず笑みが漏れる。

「正面から行くのはさすがに素直過ぎる。幸い、敵からはこちらが視界に入っていない。レヴィは回りこんで森から急襲してくれ」

 墜落したヘリが絶好の遮蔽物となっている。ありがたく利用させてもらおう。
 俺が示した計画は非常に大雑把だが今の状況ではこれ以上は言いようがない。 二人ともそれは十分に分かっているので文句は言わない。ちなみに残りの一人は血を失いすぎたのかいつのまにか気持ちよく夢の世界に旅立っていた。

「ったく、好い気なもんだぜ」

 レヴィが悪態をつく。おまえだってさっきまでそうだったじゃないか、とは話が面倒くさくなりそうなので口にしない。

「そう言うな。ベニーは前半にファインセーブを連発した。得点はロックだ。後半は俺たちが点を取る番。そうだろ?」

 ダッチの言葉にレヴィがしぶしぶ頷く。
 ダッチがリボルバーを突き出した。一瞬その行動の意味がつかめなかったが、レヴィがそれに習うのを見て気づいた。すぐに同じように銃を突き出す。三つの銃身が重なり合った。ダッチがにやりと笑う。

「さて、ロックンロールの開始だ。派手に行こうぜ!」



 レヴィがこの場を発ってから5分が過ぎた。そろそろ規定のポジションに着いたころだ。

 こちらに向かう傭兵の人数は6人。2人はジープに残り、遠距離からの援護に徹している。武装は全員AKM。
 敵との距離は20メートル。拳銃での狙撃には絶好のポジションだ。路面に身を投げ出し、伏せ撃ちの体勢を取る。慎重に狙いを定めて引き金を引く。乾いた音が響き先頭の傭兵の頭がぐらりと揺れる。
 傭兵達に緊張が走り、注意がこちらに集中する。すぐさま傭兵達は散開しようとするが、その機を逃すレヴィではない。一気に道路右側の森から飛び出し、姿勢を低くしながら銃を乱射する。狙いはジープに残った2人の傭兵だ。

 不意を突いた形だが、それでも傭兵達の対応は水際立ったものだった。先行していた6人のうちの前方4人がこちらに向けて銃撃を始める一方で、後方の2人はすぐさま襲撃された仲間の援護にまわる。
 合計4つのアサルトライフルがレヴィに向けられ、7.62mm弾が掃射される。並の人間ならあっという間にひき肉になるところだが、レヴィは並どころの話ではない。右手のM92をまるでフルオートかのごとく連射し、傭兵の動きが僅かに鈍ったスキに人間離れした瞬発力であっというまに一人の兵士の胸元まで飛び込んだ。至近距離から兵士の首筋に銃弾を叩き込み、そのまま即死した死体を盾にする。

 その死体の胸にライフル弾が着弾した。引き金を引いた兵士の動きが止まる。死体とはいえ仲間を撃ってしまった事に動揺したのだ。すかさずレヴィが銃口を彼の頭にロックする。顎の下が砕けるのがこの距離からでもハッキリと見えた。レヴィは盾にした死体からアサルトライフルをもぎ取り、ジープの影に飛び込む。援護に向かった二人の兵士の放った銃弾がむなしく空を切った。
 骨が覗くほどの傷を肩に負いながらのこの立ち回りだ。ダッチは俺を変態だといったが、身近にもっとその例にふさわしい人間がいるじゃないか。

 彼女の立ち回りの最中に俺も遊んでいたわけではない。
 四挺のアサルトライフルによる弾幕はすさまじいものだったが、なまじ火力がある分力押しに過ぎた。精密射撃には自信がある。ハインドの影から冷静に狙いを定めて引き金を引く。糸を切られた操り人形のように傭兵が崩れ落ちた。さらにその横でダッチの.44弾がもう一人の傭兵の腹を食い破る。これで残るは4人。しかも前後からの挟み撃ちだ。

 それでも傭兵たちは完全には冷静さを失っていない。彼らは互いのフォローに回れる距離を保ちながらさらに広範囲に散開する。多少の犠牲は覚悟の上で多方向から特攻されれば、こちらが一人か二人仕留める間に接近を許してジ・エンドだ。 そうなる前に手を打たなければならない。行動は神速を尊ぶ。ダッチに目をやり、援護を頼む。

 彼が頷いた瞬間、覚悟を決めて飛び出した。ほぼ同時にジープの影からレヴィも飛び出すのが見えた。傭兵達はすぐさま俺とレヴィにそれぞれ二人ずつを振り分け応戦してくる。しかし、レヴィはバラ撒かれた銃弾の雨を不規則に前後左右に跳ね、加速して見事にすり抜ける。俺にはあれほどのリスクを負う気はない。だから、相手が撃つ前に先読みして回避する。

 時を切り刻む。

 時間は伸びたり縮んだりはしない。一秒は一秒であり、一分は一分だ。しかし、いくつにも分割することで擬似的に時間を伸ばすことはできる。極限の集中により、時はその姿を変え、一秒が映画のフィルムのようにコマ送りで分割される。今見ているコマから数コマ先の映像を予測し、対処方を検討し、最善の状態へと収束させる。

 二方向からのアサルトライフルの火線を先読みし、最短の動きで安全地帯に体を滑らす。体を思いっきりひねり、背中越しの虚空に向けて引き金を絞った。乾いた音が空気を振動させる。空薬莢が排出され宙を舞う。その先で額の中央に赤黒い穴を開けて傭兵が仰向けに倒れる。
 すぐにもう一発、再び虚空に向けて放つ。抜けるような青空の下でマズルフラッシュが煌き、その火線上にもう一人の傭兵が自分から飛び込んだ。咽仏に命中し周囲に血を撒き散らす。

 無限に切り刻まれた時間の果てで手に入れたものは、ほんの数瞬先の世界の映像でしかない。しかし、戦場においてはその数瞬のアドバンテージが絶対的な差となる。

 視界の端に、レヴィがアサルトライフルで掃射して一人の傭兵を血で染めるのが映る。これで残りは一人。
 同時に行動を開始する。期せずして競うような形になった。レヴィはアサルトライフルを投げ捨てると、使い慣れた"ソード・カトラス"を手に突撃する。俺とレヴィの二挺の"ソード・カトラス"の銃口が傭兵の頭を原点に90度の角度で交差する。一瞬、互いの視線が交わる。右手の人差し指に力を入れる。

 直後に轟音が響いた。傭兵の頭の半分が吹き飛んで、白い脳漿が地面にばら撒かれる。噴出する血の一部が頬を濡らした。頭を失った死体が血ダマリに倒れこむ。
 俺はまだ引き金を引いていない。レヴィもだ。
 カツ、カツとブーツが地面を叩く音が響く。ダッチがM29の銃口に息を吹きかけながら歩いてくる。俺の依頼どおり.44マグナム弾の威力を見せてくれたのだ。

「さすがにこれで打ち止めだよな。やれやれひでえ仕事だ」

 その姿をレヴィが半眼で睨む。

「ったく、最後の最後でおいしいところを持っていきやがって」
「これくらいしなけりゃ、社長としての面目が保てないんでな。まあ、悪く思うな」
「ヘイ、ヘイ、分かったよ」

 「手間が省けた」とダッチは嬉々として傭兵たちが乗ってきた軍用ジープへと足を向ける。どうやらランニングはしなくて済みそうだ。
 レヴィがよろよろと道の端まで歩み、土の上に仰向けに寝転がる。血と硝煙の匂いに包まれたその姿は、彼女にこの上なく物騒な魅力を与えていた。

「おい」

 その姿をなんとはなしに眺めていると彼女の口が開いた。

「あのヘリの残骸はお前の仕業か」
「ああ」
「カトラスで落としたのか?」
「いや、手榴弾とダッチからM29を借りた」
「……そうか。おまえ」
「ん?」
「……おまえ、悪くない腕だ」

 散々に逡巡した挙句、レヴィが告げた言葉がこれだ。
 微妙な言い回しだな。いや、彼女らしくて良いか。短い付き合いだが、それが彼女の最大限の賛辞であることは分かる。素直に礼を言おう。

「それはどうも。そちらこそいい腕だ」
「……ふん」
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